寝落ち前

女子大生の500字日記。いつまで続くか不明です。

アイスクリームの思い出

この間4歳の時の旅行ビデオを見ていたら、他には何も覚えていないのに、食べていたアイスクリームの舌触りだけはっきりと思い出した。そう考えてみると、アイスクリームの思い出っていくつも浮かぶ。晴れた秋の日、高校から帰ってチョコモナカジャンボを買い、マンションの外階段を登りながらかじったこと。部活皆勤賞で顧問の先生がくれたハーゲンダッツ抹茶味。いつかの誕生日、サーティワンのアイスケーキを買ってもらったあの甘さ。中学校のとき、好きだった男の子と一緒に図書館で受験勉強したあと公園でまるごとみかんを食べていたら溶けてべとべとになったこと。1人で家で過ごす午後、スーパーカップバニラにハチミツをかけてDVD見ながら食べたこと。バイトで疲れ果てた時に塩キャラメルモナカを食べたのも美味しかった。春夏秋冬、どんな時でもアイスクリームは甘くて冷たくて、私の期待を裏切ることなく甘やかしてくれる。椎名林檎さんの歌う「おいしい季節」がすごく好き。「アイス、アイス、アイスクリーム」と手でマイクを包んで、また開く動作が好き。アイスを食べているといつもあの曲の歌詞みたいな気分になる。楽園へようこそ。

埋める

まだ4日しか経っていないのにすでにブログに飽き始めている。基本的に飽き性なのは父に似ている。飽き性というか、多趣味だ。何かに特化したノート、例えばレシピノートとか、読書ノートとか、そういったものが続いた試しがなく、だいたい最初の二、三ページ書いて白紙のまま。何年後かにそこだけ破って、また何か別用のノートになる。YouTubeからのおすすめが追いつかないレベルで見たい動画が変わる。Twitterも放置しているのが二つ、あと作って一度消したのが一つ。飽き性っていうのはどうしたら直るんだろう。まあ、直す必要もないかもしれないけど。きっと世の中には数え切れないくらいの飽き性な人々がいて、世界中に書きかけのノートがあり、インターネットの海の中にはそれこそ無数の作りかけブログやらTwitterアカウントやらがあるのだろう。ひたすら手作り鳩サブレーのレシピを改良するブログが話題になったりするたび思うのは、やはり継続は力なり、であり、人生のうち15分だけは有名になれるっていったって、その15分のためにはやっぱり色々必要なんだろうなあ。ああ、いつにも増して空虚な内容だけど、今日も何とか500字埋まった。

イライラ

今朝イライラしたこと。家を出るまで30分しかない時間に起きたこと。化粧用のスポンジを洗ってタオルに包んでおいたのが家族の誰かに片付けられて見つからないこと。結果ベースメイクが上手にできなかったこと。ストッキングを履くのに時間がかかったこと。やっと履いたストッキングに爪を引っ掛けて破いたこと。代わりのストッキングがなかなか見つからないこと。見つけたストッキングに穴が空いていたこと。ホットサンドメーカーが見つからないこと。ホットサンドが焼きあがるのに時間がかかったこと。母親が起きてきて、何かを手伝うでもなく話しかけてくること。外に出ると雨なこと。湿気がひどくて寝癖が全然治らないこと。イライラを打ち消すために必要だったこと。長靴を履いていって、水たまりの水を気にせず走れたこと。結果電車に間に合ったこと。電車で角席に座れたこと。車内が空いていたので座って包んできたホットサンドを食べられたこと(お行儀は悪いけど)。つま先が破れたストッキングのことを諦めること。コンビニで甘いものを買って行くと誓うこと。30分のイライラは、30分かかればなんとかなる。だけど今日はこれ以上嫌なことが起きませんように。

2017/10/21

布団に入ってこの文を書いています。布団というのはふかふかとした薄めの羽布団の下に、いつぞやユニクロで買ったひざ掛けが一枚。おもて面はフリース、裏面は毛足の長い素材で驚くほど暖かいという代物です。一日中立ち仕事でくたびれきった脚は鈍く痛んでいて、脚をもぞもぞと動かすとまだ夏用のシーツがひんやりとして心地いい。胸から上は布団から出ていて、ヒートテックを一枚だけ着た上半身は絶妙に涼しいのです。ティッシュをさらに二枚に分けて細いこよりを作り、耳に入れると、がさがさという音と共に圧倒的な多幸感に包まれます。耳掃除は耳の中の神経を刺激するから気持ちいいんだと聞いたことがありますが、思わず納得です。今にこよりでは満足できなくなって、リビングへ綿棒を取りに行くと、綿棒での耳掃除もまた最高。ベットボードに乗せた頭はずるずると下がっていって、ああこのまま寝られたらいいだろうなあ、次第に文を打つ右手の親指の動きもゆっくりになっていきます。隣の部屋からふしぎ発見の声が遠く聞こえる。コンタクトを外して、メイクも落とさなくてはいけないのに、瞳を閉じると驚くほど気持ち良くて、もう私は戻って来れないんじゃないだろうか。

2017/10/20

お金が好きすぎる。バイトしまくっているおかげで並みの大学生よりは金銭的にかなり余裕はあるとは思うのですが、それでもお金に対する欲望は尽きません。お金を手にするということは、それと交換できるあらゆるものを手に入れる可能性もまた手にするということだと思うのです。お金を使うということは、無限の可能性が1つに狭められてしまうことに他ならない。自分にとって大きな買い物、例えば2万円のコートを買うことに決めた時は、コートを自分のものにできる喜びと、2万円が自分から離れていってしまう悲しみとで、もう何が何だか分からなくなって泣きそうになってしまいます。頭に血が上って衝動的に買い物をしそうになるので、必ず一日は考えるようにします。そうすると帰りの電車でわけのわからない後悔に襲われていてもたってもいられなくなる。なんとも物欲に踊らされた人生といった感じがします。しかし世の人間はどうやら全員が私と同じではないらしい。預金口座が0円になるまで遊びつくせる人を軽蔑したりします。そんな恐ろしいこと、私には絶対に真似できない。一方でお金に執着しないで生きていける彼らのその姿勢がとても羨ましく思えたりもするのです。

2017/10/19

ことごとくインターネットの潮流に乗らない人生を送ってきました。乗らないというか、乗れないというか。一応今年19歳、デジタルネイティブと言われる世代です。中学生の頃にはアメブロが爆発的に流行り、高校ではtwitter、今は周り中インスタ。一応twitterもインスタもアカウントは持っているんですが、全世界に自分の思いの丈を発信するのはどうも嫌な感じがする。それはちいさい頃読んだ赤毛のアンの影響がすごく強いような気がしていて、というのも「自分の葬式で読み上げられても恥ずかしくないような文章しか残すな」というようなセリフがあったからです。そんなこと言ったって、自分の書いた文章を読み上げられてうわー恥ずかしい、ってならない人なんているのかな。かといって自分1人で日記を書くのは今の時代あまりに寂しすぎるような気がする。インターネットって、思っていることを、世界の誰に向けてでもなく発信できるのが良いところではないかと思います。だから、まあどうでも良いような文章しか書けないと思うんですが、それでも誰かに届いてくれればいいな、って思っています。読んでくださってありがとう。そんなわけで、おやすみなさい。